うちの子は発達上何か問題があるのではないか、発達特性があるのではないか、そう心配なさる親御さんがたくさんいらっしゃいます。その多くは日常生活で困ってしまう場面があったり、「育てにくい子」と感じることがあったりすることから出発しています。
発達障害の治療は可能か
一般に、発達障害が治療可能かどうか、という点からまず考えてみましょう。
ここでは治療の目標を「ご本人の能力を最大限に発揮すること」と考えます。その場合、治療は可能です。発達障害というのは先天的な要因であり、治療は難しいというご意見もありますが、それは間違いです。発達の特性を持ち、それを生かしながら能力を発揮することは可能です。
治療の組み立て
では治療はどのように組み立てるのでしょうか。
まず、ご本人の認知特性を評価します。
そのために、知能検査であるWISCをはじめ、いくつかの心理検査を組み合わせて施行します。様々な角度から認知特性を評価して、ご本人に合った環境はどのようなものかを見極めます。そのうえで環境整備を考えます。
家庭内で同居ご家族が本人にどう対応するのか、ご家族や本人と面談します。
時にはご家族複数と医療スタッフ複数とがテーブルを囲んで対話を進めます。この場合の対話は指示的なものではなく、双方向的なものとなるようにします。その過程でご家族・ご本人自らが何かに気がついて行くことを目指します。
また、園や学校での対応についてご相談します。
その時には、園や学校と医療機関との情報交換を行います。園や学校の先生方と情報共有をして環境整備を検討することは非常に大切です。必要があれば、医療機関から園や学校へ合理的配慮の提案をいたします。その内容はご家族と医療機関と園や学校とで共有します。
投薬治療について
さて、認知特性の偏りとは、脳という臓器の生化学的偏移です。脳も筋肉や皮膚と同じように一つの臓器です。様々な精神症状は「脳の病気」ともいえるわけです。それに対しては薬物療法が有効です。注意欠如・多動・衝動、いらだち、不眠などの症状は投薬で軽快することがあります。こうした症状が良くなればご本人は楽になり、本人の気分が安定すれば親御さんも周囲も楽になります。通常の西洋薬ばかりでなく漢方薬も使用します。
見つかりにく発達症
しかし、発達症を考えなければならないときに忘れられがちなのは、おとなしいお子さんです。例えば多動症状が著しいと目立って誰でもわかるのですが、おとなしいお子さんは目立たないのでその特性がわかりにくいことがあります。不注意優位の注意欠如多動症の場合が多いようです。
それからまた、特異的学習症のお子さんも気づかれないことがあります。頑張っているけど、勉強に時間かかる、漢字を書くこと・計算することが苦手、音読を嫌がる、などは特異的学習症の症状かもしれません。特異的学習症は、意識して見てみないと、本人も周囲も、単に「勉強ができない」と思ってしまうだけになりかねません。
経験を積んだ専門スタッフがこれらについてご本人やご家族に質問を重ねて、必要があれば検査や治療につなげます。
二次障害は防ぐことができる
認知特性の偏移により、学校・家庭で軋轢をきたしたり、周囲から叱責されることが多かったりすると、その結果、「どうせ僕なんか」「どうせ自分はダメだから」と感じてしまいます。これは、こどもでもおとなでも同じです。
これは、<自己肯定感の低下>です。<自己肯定感の低下>が著しくなると、自分を恨み、親を恨み、自分を攻撃して、他人を攻撃し、社会を恨みます。それがひどくならないうちに治療的介入-支援をする必要があります。支援の目標は、自己肯定感の回復です。そして、ご本人の能力を最大限に生かすことが目指していきます。
能力を最大限に生かすには、まずは得意分野を見極めることです。誰にでも得意分野はあります。それを見つけるには、お子さんであれば例えば「静かにじっとして、夢中になっているもの」がそれだと言えるでしょう。一時的に熱中するよりも、ある期間じっと夢中になっていることが、本当に好きなことであることが多いようです。
好きなことは得意なことになります。これは成人も同様です。気持ちよくできること、長続きできそうなことを育てましょう。そのためには、自分に向いている環境を確保すること、こどもなら学校の環境整備、成人なら職場の環境が必要です。ここでの治療や支援の目的は、社会的規範に患者さんを合わせることではありません。患者さん自身が、自分に向いている環境を獲得することをサポートします。
ただ、能力を発揮するためには、この社会での規範も理解する必要があります。ですから、自分の能力を発揮するために規範を取り込んでやろう、と考えたほうが良いでしょう。
隣人を愛すること
「健康な人」のイメージとは、「好奇心と親切」です。(私はこれを精神科医の神田橋條治先生の著書から学びました。)「好奇心」を発揮して、何かを学ぶことが楽しくなり達成感を得る。これが自己肯定感を醸成します。そして、自己肯定感に満たされている人は、他人に親切になります。
他人に親切にできるためには、他人を知り自分を知らなければならない。その基本には自己肯定感があります。他人に親切にできることこそ、人としての最高の在り方といえるでしょう。2000年前からそれは言われていました。「隣人を自分のように愛しなさい」(新約聖書 マタイによる福音書22章39節)。医療の大きな目的もここにあると思います。